どうも、こんにちは!へげらもげらです。
今回は防衛大学校2留のすえに自主退学を選んだあとの・・・
私が再受験のための浪人から医学部合格までを投稿したいと思います
へげらもげらはここで防衛大学校在学時よりひどい精神的ストレスを受けることになります!!(原因は不合格通知でわかります。)
それは6浪目の時に起こりますので、急ぐ人は、6浪目~面接地獄期~をクリックしてください!
- 多浪はまわりに気を使われるため、自分に厳しくする必要がある。(2浪以上を同じ予備校でしない。)
- 医学部受験はセンターを取るのは単なる入り口で2次試験に注意が必要!
- 2次試験の問題はセンターと違い大学の独自色が出るので本当に自分にあっているかを考える必要がある。
- 面接はある程度対策できるが多浪差別、女性差別は対策難しい。(今は裁判になっているので・・・減ったとは思います)
- 多浪生だけに圧迫面接したり、面接を複数回するところもありました。(それでもなんとか複数校には最終的に合格しました。)
- 多浪・女性差別をするところは予備校などではある程度情報がありますので・・・その様なところは受けないというのが正解だと思います。
前回の防衛大学校の記事はこちらです。

無限浪人編
4浪目(実質2浪ですが・・・)~筋肉ムキムキゴリマッチョ期~
防衛大学校を退学した時にすでに1浪人+2留してからの再受験のため4浪相当での受験スタートとなりました。
通った予備校は第2の母校・・・高松高等予備校!!
防衛大学校で肉体的には頑強になったのですが・・・弱った脳みそに活を入れるため
センター350点ぐらいから640点ぐらいまで私を伸ばしてくれた高松高等予備校に再入学!!
ほんとは2浪目なのですが4浪相当なので・・・みんなが優しい優しい・・・かなり気を使ってくれて1浪のときとは違い生活のストレスはなかったです。
(決して私の鍛え上げられた肉体にビビってたのではないと信じたい・・・もしかしたら防衛大学校のせいですべてが優しく見えてたのかもしれませんが・・・)
ただクラスは理系のA1~3、M1~6、M、MMの順番で難しくなっていくんですが、確か4浪目はMの下位であるM5かM6ぐらいでした(今思うとひどいと思うんですが、1浪のときはAの最下層クラスでAはアホのAだと言われてました。)
4浪目のときは医学部には届く成績ではなかったのですが、模試などは結構点数が取れていてセンター8割~9割ぐらいをいけるかなと思っていたのですが・・・
浪人生あるあるの国語が本番で失敗して200点中100点ぐらいしかなくて、1浪のときとあまり総得点が変わらない結果で・・・
その年は東京医科歯科大の歯学部を受けたけど、もちろん落ちてしまいました・・・
高松予備校では医学部進学は上位のMM、M、M1の上から数えて3番以内のクラスじゃないと国立は難しいので・・・国立専願だったので、そもそもが厳しかったのもあると思います。
5浪目~ただ単なるぽっちゃり期~
防衛大学校卒業時から筋トレなどはしていなかったため筋肉は落ちましたが、食事内容はあまり変わりませんでした。
浪人生活のためただ単なるぽっちゃりになっていた時期です。
勉強は手を抜かず毎日10時間以上してセンターは9割取れましたが、国立医学部の二次試験で・・・落ちました。
このときはすこし私も迷走していて、高松高等予備校の厳しい寮生活ではあったのですが、次の日が休みの日はこっそり夜間に抜け出したり、酒を飲んでいたりしたので・・・自分でも、このころは辛かったんだろうなと思います。
6浪目~面接地獄期~
6浪のときも毎日10時間以上勉強してセンターは9割ぐらいで、やはり国立二次試験で・・・
5~6浪時代の前期は二次試験の問題の難易度が高い大学を受けていたため、私の桜は咲きませんでした。
気づけばよかったのですが、センターなどのマーク試験は模試でも9割以上取れていたので私は簡単な問題を時間を使ってミスなく解くのが得意なようなんですが・・・その時はそんなこと気づかずにただ受けたい大学を受けていました。。
ただ、6浪の後期試験に事件が起こります。
私が受けた九州のマンゴーが有名な大学でしたが、最後のセンター試験は9割の得点率があり
後期日程では余裕のA判定・・・後期の点数は確か配点なしの面接だけ。
つまりセンター試験の点数だけで合否がきまる・・・はずでした。
面接は医学部ではよくありがちの圧迫面接ですこし苦しかったですが・・・
さすがに面接の配点が0点で面接だけでしたので問題ないと思っていたら・・・
不合格!
不合格!!
不合格!!!
私は自己採点が間違っていたのかと何回も計算しました。(間違いはありませんでした。)
何度もインターネットのページを見直しました・・・・
可能性としてはセンターがマークミスだったのかもと思ってしょうがなく7浪目に突入しました。
7浪目~東京での精神不安定期~
ただ同じ予備校に3年いて受かっていなかったので親も予備校を変えるように強く言われ
絶対の自信を持って受けたところで落ちていたため環境を変える必要性を感じ
東京の医学部専門の駿台市ヶ谷校舎での浪人しました。(確か近くに河合塾の麹町校舎も医学部専門でした)
確かに大手予備校の駿台なので授業の質は地方予備校とはかなり良かったですが・・・
私的には特に変わらずマイペースで勉強をして成績はもはや実力以上に上げきっていたので、それ以上の成績にはならない状態でした。
その浪人で勉強している途中、自分がセンター試験で得点をとったのに落ちたということが引っかかっていたんですが・・・
夏前にあることが起こり、私の精神状態をひどく悪化させました。
それは得点開示です。最近では当たり前ですがセンター試験・国立の二次試験も得点開示が可能になったばかりでしたが
私のセンターは9割取れていて、マークミスの可能性は消えました。
九州のマンゴーが有名な県の国立医学部は二次試験の面接がF判定でした。(合格者最低点は余裕で数十点超えてました。)
A~F判定のF判定でした!
意味わかりますF判定です!!
F:面接の評価が著しく低い者
いま、思い出しても忘れられません。
現物もなぜか、きっちりとっていたので貼っときます。
この時に私はすこし悲しくなりました。
私は多浪していて現役生とかと比べてハンデがあるのはしょうがないですが・・・
数十分しかない面接でどうやったらこの判定がつくのか!!
(ちなみに、このとき以外では面接はいつもA~B判定でした。)
女性の受験差別も最近有名になりましたが多浪生への差別もしっかりありますし、受験要項には全く記載されていません!!
(このとき問題になったのは私立ですが、国立でも差別は明らかにありました。)
この事で私ははじめて面接で落とされたのと、現役の医師であるはずの教授に医師にむいてないと判定されたことで本当に医師に向いてないじゃないのか・・・もう受からないのではと思ってかなり動揺しました。(実際年齢で群馬大学医学部で不合格が出て裁判もしています。面接で落とされると学力の問題ではなく一生受からないのではと思ってしまいます。)
要約すると得点をいくらとっても面接だけで合否を変更できるということです!!
ただ、それがわかったのが、得点開示がされる、夏ぐらいだったので浪人はスタートしていたため親には言えず東京での浪人生活を続けました。
地方予備校と一番違ったのは大手なので合否のデーター量が多いのと全国の医学部を研究していて、自分にあった大学を選んでくれたため、7浪目でついに地方医学部に合格して医師への道が開けました。
まとめ
やっているときは気づきませんが、同じ予備校で多浪していても途中から学力が上がらなくなってきてました。(それは、扱っている教材と試験の問題がある程度使いまわし、環境に慣れてしまい気持ちも緩んでしまうことにあると思います。多浪で伸び悩んでいる人は、なれた環境を一度捨てることも重要だと思います。)
最後の浪人の際は親のすすめもあり私立医学部も受験しましたが、特に面接で落とされることもなく、普通に合格できました。
そのため私は数十分の面接で医師の適性を欠くと判定されたことにはいまでも納得はしていません。
- 多浪はまわりに気を使われるため、自分に厳しくする必要がある。(2浪以上を同じ予備校でしない。)
- 医学部受験はセンターを取るのは単なる入り口で2次試験に注意が必要!
- 2次試験の問題はセンターと違い大学の独自色が出るので本当に自分にあっているかを考える必要がある。
- 面接はある程度対策できるが多浪差別、女性差別は対策難しい。(今は裁判になっているので・・・減ったとは思います)
- 多浪生だけに圧迫面接したり、面接を複数回するところもありました。(それでもなんとか複数校には最終的に合格しました。)
- 多浪・女性差別をするところは予備校などではある程度情報がありますので・・・その様なところは受けないというのが正解だと思います。
その後はいい同級生にも出会い留年することなく卒業して、いまは医師10年目になりました。
いまでは苦労したなぁと思いますが・・・親はもっと精神が削られていたと思います。
今日は父の日なので、なにか素敵なものでも送るのと感謝の電話をしておこうかと思います。
では今日はここまでです。
どうでしたか医学部再受験編!!
一応このシリーズはここまでにしようとおもいますが、またどこかで医学部在籍編も需要があれば投稿しようと思います。
では今日も一日がみなさんにとっていい一日でありますように!!

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