医学部再受験について②~防衛大学校編~

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医学部再受験②
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医学部再受験について②~防衛大学校編~

どうもこんにちはへげらもげらです。

今回は前回からの続きで1度目の大学進学のお話です。

結果から言うと、もちろん(!?)退学になります!!(退学にならないと医師にはなれないので・・・)

では今回は防衛街学校の生活です。。。いってみましょう!!

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嗚呼、防衛大学校編

防衛大学校概略

1浪して第一志望の防衛大学校に進学しました。

防衛大学校は自衛隊の幹部候補を養成する学校で、4年後の卒業時は学士の資格をもらえるので、高校生としては大学に進学する感覚で受験すると思います。

(ちなみに卒業後は任官すれば陸・海・空それぞれの幹部候補生学校に進学した後で部隊に配属、卒業時に任官拒否すれば一般人です。)

私が進学したときの防衛大学校は2000年代でした。どんな学校かというと

  1. 暴◯満載(帽子で叩かれる、胸筋をパンチ、服をぐちゃぐちゃにされる、腕立てで反省、空気イス耐久レース)
  2. 精神的プレッシャーがすごい(1年生のときは時間を極端に奪われ、しかも完璧を求められる。とりあえずプレッシャーの中で考えさせられる。)
  3. 上級生は絶対(1年奴隷、2年ゴミ、3年人間、4年神様の言葉通りの世界)
  4. 部隊に行くと一年生でも部隊の人からチヤホヤされる。
  5. 上級生がいない訓練期間はめっちゃ楽(夏季・秋季定期訓練の1ヶ月のうち数日だけ1年生のときだけがある。)
  6. 2年生のカッター訓練というきつい訓練が終わればあとは、訓練があるだけでそこまで辛くはない。
  7. 訓練がないと騙された若者が入ってきてすぐ辞めるという事もあった。

私のときの記憶で書くので間違っていたり、今とは違うと思いますが・・・

4月1日に着校して、数日間だけお試し期間があります。数日後に入校式があり、そこからは防衛大学校生(自衛隊員)となるため簡単にはやめられなくなる。

この数日で確か初日は600人近く着校してますが100人以上がすぐに辞めます。(入校式の練習で学生総数が毎日どんどん減っていくのはびっくりしました。訓練がないと騙されて入って辞めていく人もちらほらいました。)

ただ学校側もやめること前提で合格を毎年出しているようで卒業するのは大体400名ぐらいになるようにしているので全然気にもされません。

(むしろ、集団生活や訓練に対しての耐性を見ている感じで数日だけお客さん感覚です。)

私の学生生活

私も第一志望で受験して進学しましたが、いろいろ考えて入学前に医療系にすすもうと思って親にいったところ猛反対されて、しぶしぶ着校しました。

(いきなり一浪させてまで第一志望に合格した息子が、進学やめるわ・・・もう一浪させてと言ったら私も怒ると思います。・・・いまは申し訳ないと思ってますが、その頃の私はわがままで納得していませんでした。)

入学してみると、そこはもう遊園地のようなイベントが毎日の世界でした

  1. 容儀点検(服装などがきちんとしているかの点検)で「気合不備」、「目の輝き不備」、「ほこり不備」など意味わからない項目がある。
  2. 点呼時にせっかくプレス(アイロンがけ)した制服をぐちゃぐちゃにされる。その後容儀点検があったりする
  3. 帰ってきたら部屋が荒らされている。(部屋が汚いと本などを放り投げられてる。)
  4. 夜間呼び出しがある。(部屋の窓ガラスが1年生の腕立てや空気椅子のため曇るぐらいしばかれる)
  5. 掃除のときにめっちゃしばかれる(おそかったり、道具の使用方法を間違うとしばかれる)
  6. 食事・お風呂を計10分で終わらせれるようになる。(移動時間こみで)
  7. 一年生は人権がないかのごとく追い詰められる。そのプレッシャーに耐えれるかを見ている。

まぁ、少し思い出しただけでもかなり、不思議なことばっかりですね。

1は防衛大学校では外出するためには容儀点検(服装点検)があり、それを合格しないと外出できません。(1年生は外出できても制服でかなり制限ありますが・・・)

ただ1年生の最初は容儀点検にまず1発でうからない・・・昼までかかる。(受からない目の輝き不備など理由もよくわからないときもある。)

せっかくの休み外出する気なくしますようね・・・ただ外出しないと上級生にまた怒られる・・・

2は点呼時に服をぐちゃぐちゃにされて容儀点検落ちる→アイロンがけをしなければいけなくなる→時間がなくなるのコンポですごいストレスでした。

落ちれば落ちるほど時間がなくなるループです。

3は私はやられていないのですが、同期の棚が吹っ飛んだり、布団が窓から庭に捨てられたりしてました。

4は日中での生活などで目がつけられた下級生が呼び出され、夜中に熱い指導を受ける。これは優秀でいい意味で目立っていても呼び出されたりします。

5の掃除のしばかれ方は、怒る側のさじ加減で腕立て、胸パンチ、帽子でしばかれるなどです。謎の防衛大学校式掃除方法で別にきれいにするわけではなく、汗だくになって素早く掃除をして気合を示す。

6はどんなに時間が奪われても食事と風呂はいってないのがバレると、またひどい目に合うので、とりあえず、すべての行動を短縮することを学びました。

今でも風呂がめちゃくちゃ早くてビビられます。

7これは今思えばプレッシャーをかけられたときにどういった反応をしたり、どこまで頑張れるかを見ていると思うんですが、やられている方からするとゴールがないわけですからきつかったです。ただ同期との仲間意識はすごい高まりました。

とりあえず1~7つで思い出しただけ書きましたが、全てをあげていったら大変なことになるので、今回はここまでにしておきます。

防衛大学校を辞めるまでと辞めた理由

こんな生活を高校卒業したての20歳ぐらいの若者であった私がどれくらい耐えられたのか・・・

数日?

数ヶ月??

1年???

実は私は2年間も防衛大学校で過ごしました。

めっちゃいるやん!!

と思いますが・・・多分いてもいいよと言われたらもっといたと思います。

辞めた理由は自主退校ですが、自主的に辞めないと懲戒退校になって経歴に傷がついたからです。(公務員を懲戒退職になると3親等までは公務員になれないと言われ親戚に迷惑かけるので辞めましょうと昔言われてましたがインターネットで調べても出てこないので不文律なんでしょうかね??)

やめたのはただ留年しすぎて退校したというのが真実です。

防衛大学校を留年で退校する人は2パターンが大きくあって。

  1. 1年で留年していて、その後進級したが3~4年のときにある1発留年の科目を落として優秀なのに退校になる
  2. 1年生で2回留年してそのまま、退校になる。(ダメ人間パターン)

防衛大学校は4年間で留年は1度までと結構厳しい。(留年すると優以上じゃないとすべて再履修になる。。。優以上取れるやつならそもそも留年しないので、ほとんど取り直しになる。また留年するの悪循環・・・)

私は2のパターンでした、なぜ留年を2回したかというと

  1. 入る前の親とのいざこざでそもそものモチベーションがかなり下がっていた
  2. 一生の仕事にするのに疑問があった
  3. どうしても医療系に行きたかった
  4. 遊園地のようなイベントはそれなりに楽しんでいて、あまり真剣ではなかった

1は入る前から医療系に行きたいなと思っておりどうしても勉強ができず単位を落とした原因です。(時間を結構いろんなことで奪われるため・・・そもそも勉強時間が少ない。性格上追い込まれるのに向いてなかったためそういう意味でも防衛大学校向きではなかったのでしょう・・・)

2は防衛大学校にもいろいろな先輩がいて尊敬できる先輩から、まったく人間的に尊敬できない人や防衛大学校に在学しているのに自衛隊不要論を唱えるひといました。自衛隊は階級社会なのでそのような人も階級が上なら絶対であり、一生その中での生活は無理だなと思った。

3、4は医療系に行きたいのに1年目の留年で辞めなかった理由ですが、家に帰るのも嫌だったけど・・・防衛大学校もきついけどそれなりに楽しかったので2年目に突入してそのまま単位が取れず退校になるというパターンです。(素直に頭が悪かったのでしょう・・・)

ちなみに私の知っている限り退校になった人は、工場勤務になったり、営業サラリーマンになったり、飲み屋のオーナーになったり、社長になったりいろんな人がいました。

私みたいに医師になった人も知っている限り数名いたと思います。

防衛大学校のまとめ

暴◯満載、精神的プレッシャーありの生活でしたが私は好きでしたので進学して2年間いたのは後悔してません。

暴◯や精神的プレッシャーも今は時代遅れと言われるかもしれませんが・・・

戦争になったら自分の国を守るために戦わなければならない・・・

自分で、相手への攻撃の引き金を引く、もしくは部下に引き金を引かせなければならない・・・

その時のストレスに耐えうる人材の育成として暴力や精神的プレッシャーをかけられるのはしょうがないかなと思います。(ただ、そのプレッシャーのかけ方が20歳の若者同士なので行き過ぎたりするのが問題だとは思います。)

ただ、この学生生活に耐えられないなら部隊配属後の自衛隊に置かれる理不尽には耐えられないので別の道を探すのも一つの手だと思います。

なかなか、厳しい生活ですが私のいた頃よりは暴力が少なくなったり、プレッシャーのかけ方も現代的になっていて気を使うようになっているようです!!

防衛大学校退学後の私

まぁ、そんな感じで退学したため・・・

1浪+2年間の学生生活=いきなり4浪相当

のハードモードに突入。

親には就職も勧められましたが・・・それを拒否!!(セコムとかの警備員ぐらいしか職がなかったので・・・それはいやだった)

親も入学時に辞めたいといったのに、進学させた負い目があったのかもしれませんが・・・浪人を許してくれました。(これには、今でも感謝しています。)

ただここから、地獄の浪人生活のはじまりです。

まぁ、よく考えて防衛大学校を留年している私が医学系に行くのがどれだけ無謀か・・・!!

(冷静に考えたらなんの自信があって受験生活に入ったか今でも・・・思い出せません。)

少し長くなったので、きょうはここまでです。

次回は地獄の浪人編です。。。

では今日も一日がみなさんにとっていい一日でありますように。

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